言の葉通信
塾生の保護者様からの声(2)
〈新・小6男子の保護者様から〉
通塾して3か月経過した頃、少し変化を感じました。入塾前は丁寧に字を書かせることが何度指摘しても変わらず大変でしたが、自分から丁寧に書くようになりました。さらに、文章問題への理解力も少しずつ高まり、自信を身につけました。
それまで読書習慣がなかったのですが、「最後のオオカミ」を読み終える頃、自分から本屋へ行きたいと言い出し、漫画ではなく、読書の本を買いたいと言いました。これから毎日10分間ほど、本を読むことにするとのことです。
作文での表現力も、5行くらいでやっとだったのが、2倍以上書けるようになりました。
*入塾当初、「言の葉の森」に置いてある短めのお話からスタートしました。冊数を増やしていくうち、買ってもらったけれど読んでいない本があるとのことで、それを持参して読み始めました。それが「最後のオオカミ」です。小学生が読むには結構難しい言葉が多かったのですが、語句の意味を一つ一つ確認しながら読むことで語彙も増え、中学校で学ぶ漢字もたくさん書くようになりました。現在は、新しく買ってもらった本を家で読み、分からない言葉に付箋をたくさん付けて「言の葉の森」に持ってきます。そうして、毎週たくさんの言葉や漢字を吸収しているところです。
塾生の保護者様からの声(1)
年度が変わるにあたり、半年以上通塾している生徒を対象に、保護者の皆様にアンケートを書いていただきました。その中から一部ご紹介いたします。「言の葉の森」ではどのような学習をしているのかを知りたい方への参考になればと思います。
〈新・小6女子の保護者様から〉
毎週楽しく通っています。
先生との授業がマンツーマンでわかりやすいので、終わった後も、今日はこんなことをしたよ、など授業の話をしています。百人一首も大好きなので、ゲーム感覚で覚えて良いと思います。
*1~3月の授業では、小学校高学年から中学生を対象に、百人一首を取り入れました。日本の伝統である百人一首を通じて、独特の古文を聞き、耳に馴染ませることで、和歌や古典学習に生かすことができます。また、国語は日本の伝統を学ぶ教科でもあります。そういう意味でも、ゲーム感覚で楽しめる百人一首は最適な学習教材となります。
私が読書を勧める理由(2) 想像する力を養うため
物語の持つ力の一つは「自分じゃない誰かの人生」を追体験できることだ。だから当然、小説好きには他人の考えを想像できる人が多い。
(早見和真/著「店長がバカすぎて」より引用)
現実の世界には「ない」ものを想像する力、それを育めるのが読書だと思う。小学校低学年くらいまでに、まずはおとぎ話や神話、世界各地の昔話をたっぷりと読み、中・高学年になってきたら、徐々に簡単な文学作品に。低学年でどっぷりと読書の楽しみに浸ったなら、自然と、自分で様々な本を取るようになるはず。つまり、「想像力」を育むためには低学年が勝負であるとも言える。
物語は、「言葉によってイメージできる力」を育ててくれる。桃から人が産まれるなんて、現実世界ではあり得ない。おとぎの国はどこにも存在しないし、わたしたちが王子様やお姫様になることも、現実世界ではほぼ叶わない。ところが、物語では現実にはあり得ないことが何でも起こり得るし、また言葉の力によってさまざまな疑似体験も行えるのだ。これからの世の中はますます便利な物で溢れ、頭を使わなくても良くなっていくだろう。きっと大変なことはAIにお任せ!! だが、はたしてそれで良いのか?
身の回りにある便利な物は、結局は、人の想像力がカタチになったものだ。こんなのがあったらいいな…を、人の想像力から年月をかけて作り上げた物だ。つまり、新しい物を生み出す根源は、「想像力」。どんな時代になろうとも、これは手放してはならないものではないのか。
文学作品は、自分の知らない世界を見せてくれる。
文学作品と言えば、基本的に明治時代から戦後までの近現代に書かれた作品が多いのだが、あの頃は、いつでも戦争があった。明治維新から始まって、十年ごとに日本中が戦争に巻き込まれていた時代だった。家族の誰かが戦争に行って人を殺し殺され…つまり、死をリアルに捉えることができた時代だった。同様に、現代はコロナ禍。多少平和ボケしていた日本人に、命が危険にさらされる恐怖を味わわせた。
かつての文豪たちは、病や死が身近だった。そんな中で多くの作品を書き残した。一方、今の子どもたちはそういう時代は知らないし、生きたことがない。だから、「活字を通して」自分と違う価値観、自分と違う世界をありありと思い浮かべる、という経験が必要だ。そうして、人の心を想像し思いやれる大人になってくれたなら、学力を高める以上に、嬉しいことである。
私が読書を勧める理由(1) 幅広い言葉に触れるため
私自身、本が大好きな子どもだった。それは大人になった今も変わらない。ただ、何歳から本が大好きだったかはわからない。物心ついたときにはすでにたくさんの本を持っていた。
私は本好きになるべく環境にあったのだと思う。近所に住んでいた祖父が大変な読書家だったのだ。だから、孫の私に本を買い与え続けた。私の手を引いて、バスに乗って、本屋に連れて行ってもくれた。小学校に上がった頃には「エジソン」や「キュリー夫人」といった伝記、中学年になると「二十四の瞳」といった小説に。祖父なりの考えがあったのか、買い与える本のジャンルが、学年が上がるにつれて変化していったのを覚えている。
また、お正月に祖父母の家に親せきが顔を揃えると、決まって「百人一首大会」となった。私たち孫同士で、親たちとの対抗で… 祖父が詠む和歌を聞きながら。北海道独特の木札に書かれた難しい仮名遣いの札を、聞き慣れない和歌を、こうして小学生の頃から自然と心に刻んでいったのだ。
読書を勧める理由の1つ目、それは、幅広い言葉に触れるためである。
読書を通して、自然と幅広い言葉に触れることができる。たとえば「二十四の瞳」は近代文学なので、言葉の言い回しが現在のものとは異なっている。「百人一首」は当然歴史的仮名遣いが用いられている。
現在の言葉遣いが完成されるまで、長い長い時間を経て言葉は変わってきた。その変遷を、ただ「古い」という言葉で片付けるのではなく、味わってほしいと思う。そして、言葉を駆使した多くの表現に触れてほしいと思う。
たとえば、ライトノベルなら「いきなりガラッとドアが開いた。」と書かれるところを、森絵都さんの小説では「静寂をゆさぶる音がした。」と同様の状況を表現している。
言葉を駆使すれば、あらゆる様子を、あらゆる感情を、あらゆる物を豊かに表現できる。
そうして表現された、さまざまな時代のさまざまな人が言葉に託して、現在にも残っているたくさんの文章に触れてほしいと思う。
試験問題は、日常で使う話し言葉では書かれない。必ずと言っていいほど、古典や近代作品が取り上げられる。それらを「初見で読み取る」には、普段から文語的な言葉で書かれた文章に読み慣れておくことも必要である。
私が読書を勧める理由(序)
世の中にはたくさんの情報が溢れかえっている。新しい情報を知りたいなら、当然スマホを操作したほうがいち早く入手できる。娯楽も多種多様にあり、なにも読書を趣味にしなくったって己の好奇心を満たすこともできるだろう。
けれどやっぱり私は、「本を読んでほしい」と思う。特に、社会に出る前の学生たち…小学生、中学生、高校生、大学生には。
理由を述べる前に、参考として見てもらいたい。
*1月に実施された大学入学共通テストで取り上げられた文章
・檜垣立哉「食べることの哲学」(評論文)
・藤原辰史「食べるとはどういうことか」(評論文)
・黒井千次「庭の男」(小説)
・「増鏡」(作者未詳、南北朝時代の歴史物語)
・後深草院二条「とはずがたり」(鎌倉時代の日記文学)
・阮元「揅経室集」(中国清朝時代の漢詩文)
*2021年度北海道公立高校入試問題で取り上げられた文章
・関口雄祐「眠れる美しい生き物」(論説文)
・川上健一「雨鱒の川」(小説)
・「十訓抄」(編者未詳、鎌倉中期の説話集」
さて、これらの書物を読んだことがある人はどれくらいいるのだろう?
実際に「入試」で取り上げられる文章の多くは、受験者にとっては初見になる。まちがっても、ライトノベルから出題されることはない。黒井千次氏も川上健一氏も現在も活躍される作家だが、お二人ともかなりのご年配でもあるので、使われる言葉が小難しい。正直、未成年が好んで読むことはほとんどないと思われる。
趣味などではなく、私が「国語」を学習する観点から読書を勧める理由はそこに関係する。試験で目にする文章のほぼすべてが「初見」であるからだ。これらを決められた時間内に読み取るための読書を勧めたい。