言の葉通信

2026-07-21 11:57:00

脳の筋肉をきたえる=考えること

 デジタル技術の発達はめざましいものがある。確かに便利にはなったけれど、やはり使い方次第では副反応はある。

 知りたいことを調べることが、格段に楽になった。スマホに話しかければすぐに答えが返ってくるから、そもそも「調べる」ということをしなくなった。ちょっと前なら、いろんな本を見比べて、いろんな情報を整理しながらやっと得ていたことが、今では数秒の手間で済む。しかし、その副反応は、明らかに「脳」に現れていると感じる。

 脳を使うための筋肉が固まった。

 筋肉は使わなければ固まる。それなら、脳の筋肉も、考えることをやめたら固まるだろう。考えることで鍛え、鍛えることでさらに新しいことを学べる柔軟な脳になるはずなのに。なのに、考えることさえできなくなってしまったら。それは、「人間」と言えるのだろうか。

 「言の葉の森」の塾生たちのほとんどが、入塾したての頃、まさに脳が固まっている子が多かった。「しっかり考えてみて」と促すと、そこですべてが固まるのだ。「えっ、考えるって何?」と全身で訴えるかのように。そもそも、「考える」ことがわからない。

 国語は、考える教科だ。文章の言葉から読み解き、答えを導くためには、考えなければならない。文章に書かれていることから思考をつなげたり、整理したりの連続だ。問題が10問あったなら、考え方も10通りだと思っていい。

 学校にパソコンが普及した頃から、調べ物はネットで、図書館を使うことが激減した。一人一台のタブレットを使い始めてから、手を使って書くことも減った。そして次は、教科書もデジタル化するという。これはもう、人間の脳を、無能化しようとしているのかと思うほどだ。

 近年、学力低下だと嘆いているが、その原因も明らかなはずだ。デジタル技術は、子供の学びの場に導入するべきではなかったのだ。やはり成長期にある子供には、手足と脳をしっかりと動かす教育をするべきだった。古い教育は、決して古くはなかったのだと思う。なぜなら、その古い教育こそが、日本人の学力を押し上げてきたのだから。

 「言の葉の森」での学習は、脳をしっかりと鍛えるものでありたい。世間がどんなにデジタルによって便利になったとしても、しっかりと「考える」ことをやめたくない。いつまでも紙で、ペンで、しっかりと手を使う学習を続けるつもりだ。

 これは、開塾6年目に突入した、「言の葉の森」の決意である。

2026-05-08 14:47:00

すくすく本好きにな~れ♪

 絵本を読ませてもらってもいいですか?

 ある日訪れた母娘。その日以来、小学校に入学したばかりのその子は、時々立ち寄っては絵本を数冊読み、満足げに帰って行くようになった。

 図書館まではいつも連れて行ってあげられないし、書店ではなかなか好みの本が見つからない。「言の葉の森」にはどんな本があるのかな、気に入った本があるといいな、という気持ちで第一歩を踏み入れてくれたのだと言う。私の好みと、通塾生の好みを想像しながら選んだ本が、その子にもはまったらしい。家がわりと近いらしく、放課後の時間帯に一人でやって来るようになった。少し文章が長い絵本は、読み聞かせることもある。静かに本と向き合う時間を楽しんでくれているようで、私も嬉しくなる。今は絵本ばかりだけれど、いつか、他の本も手に取ってくれたらと思う。

 このまますくすく、本好きにな~れ♪ そんな気持ちで、その子を見守る私である。

2026-04-09 18:28:00

新年度はまた新たな気持ちで

 また新しい年度が始まりました。

 新しく進級して、自分を取り巻く環境に変化があると、楽しみな反面不安もありますね。通塾生にも、いろいろな変化を表情に滲ませている様子が窺えます。

 「言の葉の森」にも、新しい通塾生が加わり、前向きに勉強に勤しんでいます。「加わり」といっても、1対1の個人経営ですので、変化を実感するのは私だけかな…と思いますが…。

 この3月、4月の新規入塾生は4名(4月9日現在)。うち、3名が、かつての通塾生の保護者様の紹介、かつての通塾生の弟妹です。「繋がり」を感じずにいられません。

 開塾から6年の「言の葉の森」が、こうして繋がっていくのだと思うと、とても感慨深いです。そして、頼っていただけることも嬉しく思います。

 今年度も、「国語」を通して個々の学びを深められる充実した一年となりますよう、心から願います。

 

2026-03-31 15:06:00

「言の葉の森」での学習

 現在、小学3年生~中学3年生までの、すべての学年の生徒が通塾してくれています。

 ところで、「言の葉の森」で、国語だけって… どんな勉強をしているんだろう? という疑問にお応えできるよう、簡単に紹介をしようと思います。ただし、個人の特性によって行う内容も変わりますので、一般的にはこのような感じ、という紹介となります。

 

〈小学3年生・4年生〉

 国語の読解力をつける根本となる「読書に親しむ」ことに重点を置いています。読書習慣は、小学4年生でほぼ確立すると言われ、これ以降に読書習慣をつけるのはかなり困難となります。よほど、感動する本に出会うとか、読書を好きになる機会に恵まれない限り、とても難しい…。漢字や言語、読解問題にも取り組みますが、それはかなり簡単なもので、高学年につなげる訓練程度です。「読書」を通して、楽しむ、想像する、文章への抵抗感を薄めることが中心です。

 

〈小学5年生・6年生〉

 少し長めの単行本を読み進めるようになったら、自分で選書した読書から授業が始まります。漢字・言語、特にことわざや慣用句を多く取り入れるようにしています。200字~500字程度の長さの文章読解を通し、その答えの根拠を見つけながら読み取る力をつけていきます。6年生になると、中学校に入る前の準備も兼ねて、文法的なことも取り入れながら、論理的に考える学習を盛り込んでいます。

 

〈中学生〉

 最初の一年間で、読解のための、特に、テストに対応できる基本をしっかり学びます。そこから、様々な文章問題に取り組み、最終的には高校入試につなげていきます。基本に一年かかるので、入塾はやはり中一からがお勧めです。

 教科書の内容は学校でしっかりと学んでいることを前提に、振り返り程度の問題にも取り組んでいます。文法は、文章読解にもつながるものなので、かなりしっかりと取り組みます。

 中1で基礎基本を身に付け、中2で基礎を生かした応用的内容、中3の一年間で入試対策的内容に取り組みます。1・2年生での総合的な基礎作りが、かなり重要になります。

 

 かなり大雑把ではありますが、上記の流れが基本です。どの学年から入塾するかによっても変わってきますし、その子の特牲によっても変わります。

 ただ、私の長い国語指導の経験からはっきりと言えることは、「読書を楽しむことがすべての基本」であるということ。長い文章でも抵抗なく楽しんで読むくらいでなければ、中学校の長文読解は、ただの呪文のような言葉の羅列にしか見えなくなり、とても解くことはできません。

2026-03-17 15:06:00

読書はただ楽しめばいい

 仕事柄、人に読書をすすめることが多い。読解力には必須だと思っているし、語彙力もつくし、自分の世界も広がるし……。読書の効果をあげれば限りがなく、実際に多くの学者や研究者も、読書から得られる効果を数多く実証している。

 が、しかし、読書の本質とは何だろう。何らかの効果を求めるためのものでも、勉強のためでもなくていいはずだ。それに、読書をすることは決して義務ではない。

 読書はただ、楽しめばいいのだ。本の中の世界に自分も足を踏み入れて、登場人物たちとともに冒険し、悩み、楽しめばいいのだ。

 そもそも、私の読書好きも、何か目的があって始めたわけではなかった。無類の読書好きの祖父が買い与えてくれたものを、ただ楽しんでいただけだった。読み終わればまた新しい本が、次々と私の手元にやって来た。自分から求めて書店に入ったのは、たぶん、小学5年生くらいの頃だったと思う。それまではずっと、祖父がセレクトした本を読んでいた。

 中学生になると、国語の教科書や国語便覧に載っていた文学史年表に興味を持った。古代の人々が書き残した書物を読んでみたいと思った。文豪と呼ばれる人物たちの書いたものを読んでみたいと思った。そして、手始めに、歴代の直木賞や芥川賞の受賞作品を読みあさったのだ。

 今思うと、中学生が好んで手に取る本ではなかった。友達がマンガの話で盛り上がっていたとき、私は井伏鱒二や安部公房を読んでいた。

 短大に入学した頃、推理小説に興味を持ち始めた。宮部みゆき作品に出会って、ある短編をきっかけに、教師の道に進もうと心が決まった。

 教師になってからは学校図書館の担当として、多くの中学生に楽しんでほしい本を購入し、読書を勧めてきた。そうして退職してからも、私の読書の歴史は続いている。

 そうして今、思うのだ。結局のところ「読書」とは何なのだろう。私の人生にとっては欠かせないものであるのは間違いない。読書で得た知識が間違いなく私を作り、支えてくれている。けれど、決して何らかの目的を持って続けてきたのではない。楽しいだけなのだ。

 読書はただ楽しめばいい。それだけのことだ。

 

 

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