言の葉通信

2026-03-31 15:06:00

「言の葉の森」での学習

 現在、小学3年生~中学3年生までの、すべての学年の生徒が通塾してくれています。

 ところで、「言の葉の森」で、国語だけって… どんな勉強をしているんだろう? という疑問にお応えできるよう、簡単に紹介をしようと思います。ただし、個人の特性によって行う内容も変わりますので、一般的にはこのような感じ、という紹介となります。

 

〈小学3年生・4年生〉

 国語の読解力をつける根本となる「読書に親しむ」ことに重点を置いています。読書習慣は、小学4年生でほぼ確立すると言われ、これ以降に読書習慣をつけるのはかなり困難となります。よほど、感動する本に出会うとか、読書を好きになる機会に恵まれない限り、とても難しい…。漢字や言語、読解問題にも取り組みますが、それはかなり簡単なもので、高学年につなげる訓練程度です。「読書」を通して、楽しむ、想像する、文章への抵抗感を薄めることが中心です。

 

〈小学5年生・6年生〉

 少し長めの単行本を読み進めるようになったら、自分で選書した読書から授業が始まります。漢字・言語、特にことわざや慣用句を多く取り入れるようにしています。200字~500字程度の長さの文章読解を通し、その答えの根拠を見つけながら読み取る力をつけていきます。6年生になると、中学校に入る前の準備も兼ねて、文法的なことも取り入れながら、論理的に考える学習を盛り込んでいます。

 

〈中学生〉

 最初の一年間で、読解のための、特に、テストに対応できる基本をしっかり学びます。そこから、様々な文章問題に取り組み、最終的には高校入試につなげていきます。基本に一年かかるので、入塾はやはり中一からがお勧めです。

 教科書の内容は学校でしっかりと学んでいることを前提に、振り返り程度の問題にも取り組んでいます。文法は、文章読解にもつながるものなので、かなりしっかりと取り組みます。

 中1で基礎基本を身に付け、中2で基礎を生かした応用的内容、中3の一年間で入試対策的内容に取り組みます。1・2年生での総合的な基礎作りが、かなり重要になります。

 

 かなり大雑把ではありますが、上記の流れが基本です。どの学年から入塾するかによっても変わってきますし、その子の特牲によっても変わります。

 ただ、私の長い国語指導の経験からはっきりと言えることは、「読書を楽しむことがすべての基本」であるということ。長い文章でも抵抗なく楽しんで読むくらいでなければ、中学校の長文読解は、ただの呪文のような言葉の羅列にしか見えなくなり、とても解くことはできません。

2024-09-20 13:32:00

中3学テ総合A出題問題より 「安養の尼上の小袖」

 中学3年生の皆さんは、いよいよ進路選択について真剣に取り組む時期に入りましたね。 そして、3カ月連続の学力テストに、すでにげんなりしているのかも…。

 

 さて、9月に入って行われた総合Aは、基本をしっかり押さえた内容でした。

 その中から、今後は毎回取り組むことになる古文について、触れていこうと思います。

 

 今回の古文では、鎌倉時代中期の教訓説話集「十訓抄(じっきんしょう)」(編者未詳)が取り上げられました。注釈などを頼りにすれば何となくストーリーができたのではと思うのですが、なかなか難解だったようで… つまずいてしまった人も多かったようです。

 

 そこで、「十訓抄」からの出題文、「安養の尼上の小袖」を改めて紹介しましょう。

 

 横川の恵心僧都の妹である、安養の尼上の所に強盗が入り、そこにあった物がすべて盗まれてしまったので、尼上は和紙で出来た布団を1枚、頭からかぶって座っていました。そこに、(尼上の妹の)小尼上が駆けつけ、強盗が落として行った小袖が落ちているのを見つけました。それを拾って、「これを落としてございます。お召ください。」と尼上に渡そうとしたが、尼上は、「それは強盗が盗んだ物なのだから、この小袖はすでに強盗の物。彼らが自分の物と思っている物を、私が着ることはできません。追いかけていって返してあげなさい。」と言います。小尼上は門の方へ走り出て強盗を呼び止めます。「落ちていたので差し上げます。」と強盗に差し出すと、強盗は立ち止まって考え込み、「とんでもない所に盗みに入ってしまった。」と言って、盗んだ物をすべて返して去って行ったということです。

 

 横川(よかわ)という地名や、安養といった語句に難しさはあるでしょうが、今回の読解にはさほど影響もないので、おおまかなストーリーが理解できれば合格です。古文を読む際には、登場人物はだれか、このセリフや行動は誰のものか、という2点を押さえることが最も大切です。次のテストでの参考にしてみてください。

2022-04-28 14:41:00

私が読書を勧める理由(終) 文章を最後まで読み切る力をつけるため

 国語というのは文章を読んで答える科目である。だから、「文章を最後まで読み切る力」が必要だ。文章を最後まで読み切ることができなければ、設問を解くというスタートラインにすら立つことができない。

 最近の中学入試や高校、大学入試に出題される文章は、長い。とにかく長い。一般的な単行本なら、3~5ページ分を載せる試験問題もめずらしくない。長い文章は苦手…だけならまだしも、読書習慣のない児童生徒なら、いくら読もうとしてもまったく頭に入ってこないだろう。

 国語に向き合う前に、文章を最後まで読み切る力をつけなければならない。そのためには、まず、読書をしなければ。試験での問題文を短いと思えるほどの読書を。

 

 あたりまえのことだが、たいていの文章問題の最初にはこう書かれてある。

 「次の文章を読んで、あとの問いに答えなさい。」

 さて、あなたは、あなたのお子さんは、ちゃんと最後まで文章を読んでいるだろうか?

 国語が苦手な子の大半は、文章を最後まで読まずに設問に答えている。傍線部分の付近だけを探して答えっぽいものを選んだり、そこで見つからなければ「なんとなく」で。これでは、いくら問題の数をこなしても、力がつかないのは明白である。

 

 国語を解くには、正解を導くためのプロセスがはっきりと存在する。

 よく、読書をする子は勉強しなくても国語の点数が良い、といわれる。これは、長い文章を最後まで読み切る力を身につけた上で、授業で学んでいるからだろう。言い換えれば、設問を解くというスタートラインにしっかりと立った上で、プロセスを身につけているからだ。

 

 国語を本気でなんとかしたいなら、まずは読書を通して、「文章を最後まで読み切る力」をつけることである。

2022-02-22 16:27:00

私が読書を勧める理由(2) 想像する力を養うため

 物語の持つ力の一つは「自分じゃない誰かの人生」を追体験できることだ。だから当然、小説好きには他人の考えを想像できる人が多い。

                      (早見和真/著「店長がバカすぎて」より引用)

 

 現実の世界には「ない」ものを想像する力、それを育めるのが読書だと思う。小学校低学年くらいまでに、まずはおとぎ話や神話、世界各地の昔話をたっぷりと読み、中・高学年になってきたら、徐々に簡単な文学作品に。低学年でどっぷりと読書の楽しみに浸ったなら、自然と、自分で様々な本を取るようになるはず。つまり、「想像力」を育むためには低学年が勝負であるとも言える。

 物語は、「言葉によってイメージできる力」を育ててくれる。桃から人が産まれるなんて、現実世界ではあり得ない。おとぎの国はどこにも存在しないし、わたしたちが王子様やお姫様になることも、現実世界ではほぼ叶わない。ところが、物語では現実にはあり得ないことが何でも起こり得るし、また言葉の力によってさまざまな疑似体験も行えるのだ。これからの世の中はますます便利な物で溢れ、頭を使わなくても良くなっていくだろう。きっと大変なことはAIにお任せ!! だが、はたしてそれで良いのか?

 身の回りにある便利な物は、結局は、人の想像力がカタチになったものだ。こんなのがあったらいいな…を、人の想像力から年月をかけて作り上げた物だ。つまり、新しい物を生み出す根源は、「想像力」。どんな時代になろうとも、これは手放してはならないものではないのか。

 

 文学作品は、自分の知らない世界を見せてくれる。

 文学作品と言えば、基本的に明治時代から戦後までの近現代に書かれた作品が多いのだが、あの頃は、いつでも戦争があった。明治維新から始まって、十年ごとに日本中が戦争に巻き込まれていた時代だった。家族の誰かが戦争に行って人を殺し殺され…つまり、死をリアルに捉えることができた時代だった。同様に、現代はコロナ禍。多少平和ボケしていた日本人に、命が危険にさらされる恐怖を味わわせた。

 かつての文豪たちは、病や死が身近だった。そんな中で多くの作品を書き残した。一方、今の子どもたちはそういう時代は知らないし、生きたことがない。だから、「活字を通して」自分と違う価値観、自分と違う世界をありありと思い浮かべる、という経験が必要だ。そうして、人の心を想像し思いやれる大人になってくれたなら、学力を高める以上に、嬉しいことである。

2022-01-30 18:42:00

私が読書を勧める理由(1) 幅広い言葉に触れるため

 私自身、本が大好きな子どもだった。それは大人になった今も変わらない。ただ、何歳から本が大好きだったかはわからない。物心ついたときにはすでにたくさんの本を持っていた。

 私は本好きになるべく環境にあったのだと思う。近所に住んでいた祖父が大変な読書家だったのだ。だから、孫の私に本を買い与え続けた。私の手を引いて、バスに乗って、本屋に連れて行ってもくれた。小学校に上がった頃には「エジソン」や「キュリー夫人」といった伝記、中学年になると「二十四の瞳」といった小説に。祖父なりの考えがあったのか、買い与える本のジャンルが、学年が上がるにつれて変化していったのを覚えている。

 また、お正月に祖父母の家に親せきが顔を揃えると、決まって「百人一首大会」となった。私たち孫同士で、親たちとの対抗で… 祖父が詠む和歌を聞きながら。北海道独特の木札に書かれた難しい仮名遣いの札を、聞き慣れない和歌を、こうして小学生の頃から自然と心に刻んでいったのだ。

 

 読書を勧める理由の1つ目、それは、幅広い言葉に触れるためである。

   

 読書を通して、自然と幅広い言葉に触れることができる。たとえば「二十四の瞳」は近代文学なので、言葉の言い回しが現在のものとは異なっている。「百人一首」は当然歴史的仮名遣いが用いられている。

 現在の言葉遣いが完成されるまで、長い長い時間を経て言葉は変わってきた。その変遷を、ただ「古い」という言葉で片付けるのではなく、味わってほしいと思う。そして、言葉を駆使した多くの表現に触れてほしいと思う。

 たとえば、ライトノベルなら「いきなりガラッとドアが開いた。」と書かれるところを、森絵都さんの小説では「静寂をゆさぶる音がした。」と同様の状況を表現している。

 言葉を駆使すれば、あらゆる様子を、あらゆる感情を、あらゆる物を豊かに表現できる。

 そうして表現された、さまざまな時代のさまざまな人が言葉に託して、現在にも残っているたくさんの文章に触れてほしいと思う。

 試験問題は、日常で使う話し言葉では書かれない。必ずと言っていいほど、古典や近代作品が取り上げられる。それらを「初見で読み取る」には、普段から文語的な言葉で書かれた文章に読み慣れておくことも必要である。

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