言の葉通信
塾生の保護者様からの声(4)
〈新・小6男子の保護者様から〉
毎回塾の帰り道「アインシュタイン」の話を楽しそうに語っています。読むことが以前よりもスムーズになりました。漢字は苦戦しながら頑張っているようで、国語の成績が上がっています。
*学校の授業で音読するのが苦手とのことだったので、毎回音読をしているお子さんです。伝記本「アインシュタイン」をずっと読み続け、ようやく一冊読み終えるところまできました。最初はかなりたどたどしかったのですが、現在は滑らかに音読できるようになり、ちょうど聞きやすいところで区切っているのに驚かされることがあります。
塾生の保護者様からの声(3)
〈新・小4女子の保護者様から〉
いつも、行ったらぬいぐるみを並べ、黒板にお絵描きをさせてもらっていて、毎週行くことを楽しみにしています。勉強に対するいやな気持ちがなく、取り組めていると思います。3年生の最後に、苦手な漢字テストで100点を取れて、自信がついたと思います。春休みに4年生の漢字やるんだよ!と楽しそうに話してくれました。前向きに取り組めていて、成長を感じています。
*ずっと座って勉強をするのが苦手なお子さんなので、時間を区切りながら、読書したり、絵を描いたり、漢字の勉強をしたりしています。そういう意味では、誰よりも時間にメリハリをつけて学習しているかもしれません。最初はかなり漢字への抵抗感が強かったのですが、今ではとっても前向きに、進んで漢字の勉強をしています。そして新学期が始まる前から、新しい学年の漢字練習をスタートしました。
塾生の保護者様からの声(2)
〈新・小6男子の保護者様から〉
通塾して3か月経過した頃、少し変化を感じました。入塾前は丁寧に字を書かせることが何度指摘しても変わらず大変でしたが、自分から丁寧に書くようになりました。さらに、文章問題への理解力も少しずつ高まり、自信を身につけました。
それまで読書習慣がなかったのですが、「最後のオオカミ」を読み終える頃、自分から本屋へ行きたいと言い出し、漫画ではなく、読書の本を買いたいと言いました。これから毎日10分間ほど、本を読むことにするとのことです。
作文での表現力も、5行くらいでやっとだったのが、2倍以上書けるようになりました。
*入塾当初、「言の葉の森」に置いてある短めのお話からスタートしました。冊数を増やしていくうち、買ってもらったけれど読んでいない本があるとのことで、それを持参して読み始めました。それが「最後のオオカミ」です。小学生が読むには結構難しい言葉が多かったのですが、語句の意味を一つ一つ確認しながら読むことで語彙も増え、中学校で学ぶ漢字もたくさん書くようになりました。現在は、新しく買ってもらった本を家で読み、分からない言葉に付箋をたくさん付けて「言の葉の森」に持ってきます。そうして、毎週たくさんの言葉や漢字を吸収しているところです。
塾生の保護者様からの声(1)
年度が変わるにあたり、半年以上通塾している生徒を対象に、保護者の皆様にアンケートを書いていただきました。その中から一部ご紹介いたします。「言の葉の森」ではどのような学習をしているのかを知りたい方への参考になればと思います。
〈新・小6女子の保護者様から〉
毎週楽しく通っています。
先生との授業がマンツーマンでわかりやすいので、終わった後も、今日はこんなことをしたよ、など授業の話をしています。百人一首も大好きなので、ゲーム感覚で覚えて良いと思います。
*1~3月の授業では、小学校高学年から中学生を対象に、百人一首を取り入れました。日本の伝統である百人一首を通じて、独特の古文を聞き、耳に馴染ませることで、和歌や古典学習に生かすことができます。また、国語は日本の伝統を学ぶ教科でもあります。そういう意味でも、ゲーム感覚で楽しめる百人一首は最適な学習教材となります。
私が読書を勧める理由(2) 想像する力を養うため
物語の持つ力の一つは「自分じゃない誰かの人生」を追体験できることだ。だから当然、小説好きには他人の考えを想像できる人が多い。
(早見和真/著「店長がバカすぎて」より引用)
現実の世界には「ない」ものを想像する力、それを育めるのが読書だと思う。小学校低学年くらいまでに、まずはおとぎ話や神話、世界各地の昔話をたっぷりと読み、中・高学年になってきたら、徐々に簡単な文学作品に。低学年でどっぷりと読書の楽しみに浸ったなら、自然と、自分で様々な本を取るようになるはず。つまり、「想像力」を育むためには低学年が勝負であるとも言える。
物語は、「言葉によってイメージできる力」を育ててくれる。桃から人が産まれるなんて、現実世界ではあり得ない。おとぎの国はどこにも存在しないし、わたしたちが王子様やお姫様になることも、現実世界ではほぼ叶わない。ところが、物語では現実にはあり得ないことが何でも起こり得るし、また言葉の力によってさまざまな疑似体験も行えるのだ。これからの世の中はますます便利な物で溢れ、頭を使わなくても良くなっていくだろう。きっと大変なことはAIにお任せ!! だが、はたしてそれで良いのか?
身の回りにある便利な物は、結局は、人の想像力がカタチになったものだ。こんなのがあったらいいな…を、人の想像力から年月をかけて作り上げた物だ。つまり、新しい物を生み出す根源は、「想像力」。どんな時代になろうとも、これは手放してはならないものではないのか。
文学作品は、自分の知らない世界を見せてくれる。
文学作品と言えば、基本的に明治時代から戦後までの近現代に書かれた作品が多いのだが、あの頃は、いつでも戦争があった。明治維新から始まって、十年ごとに日本中が戦争に巻き込まれていた時代だった。家族の誰かが戦争に行って人を殺し殺され…つまり、死をリアルに捉えることができた時代だった。同様に、現代はコロナ禍。多少平和ボケしていた日本人に、命が危険にさらされる恐怖を味わわせた。
かつての文豪たちは、病や死が身近だった。そんな中で多くの作品を書き残した。一方、今の子どもたちはそういう時代は知らないし、生きたことがない。だから、「活字を通して」自分と違う価値観、自分と違う世界をありありと思い浮かべる、という経験が必要だ。そうして、人の心を想像し思いやれる大人になってくれたなら、学力を高める以上に、嬉しいことである。