言の葉通信
「言の葉の森」は3年目に突入
おかげさまで、「言の葉の森」は3年目を迎えました。つまり、丸2年を終えたところなのですが、正直、まだ2年なの?? という感覚です。すでに5年くらい経ったような…。それはきっと、濃密で、充実した日々を過ごせたということなのでしょう。
これまでの人生なら考えられなかったであろう出会い、そして多くの再会。
楽しんで通ってきてくれる子どもたちには、毎日新鮮な刺激をもらったり、ほっこりさせられたりしています。先生に話したいことを溜めてるんです、と言って一週間のいろんな話を聞かせてくれる子。学校での出来事を事細かに教えてくれる子。僕、天才になったかもと言いながら問題に取り組む子…。
現在、小学2年生から中学3年生までの生徒がいますが、それぞれと向き合える時間はとても貴重です。
また、これまでに出会った、教員時代の生徒たちや元同僚たちとの嬉しい再会もありました。転勤族の教員は意外にこういった再会が難しく、離任式や卒業式を終えたらそれっきり…となることが多いのです。それだけに、わざわざ訪ねてきてくれることは、本当に有り難いし、とても嬉しいことです。
3年目を迎え、まだまだこれからの「言の葉の森」です。次はどんなことが待ち受けているのか、ワクワクしながら過ごしていこうと思います。
羊と鋼の森
森の匂いがした。
この冒頭の一文で、私の目の前にも大きな森と、瑞々しい森の匂いが広がった。
言葉の力とは凄いもので、ときにはリアルなほどに五感まで刺激されることがある。「羊と鋼の森」の世界では、私はずっと嗅覚を刺激されていたように思う。それは、晴れた日の森の匂い、雨の匂い、緑を吹き抜ける風の匂いだったりした。
初めて手に取った宮下さんの著書は「神さまたちの遊ぶ庭」だった。その次に「緑の庭で寝ころんで」。いずれもエッセイで、そこには、北海道のど真ん中、トムラウシでの一年間の生活も描かれていた。二冊とも、私の目の前には緑が広がり、十勝の四季折々を感じさせた。加えて、「緑の庭で寝ころんで」には、「羊と鋼の森」の本屋大賞受賞エピソードの数々が盛り込まれていた。だから、言ってみれば、私は、宮下さん本人に勧められて「羊と鋼の森」を読んだことになる。
舞台は北海道。ピアノの調律師を目指す青年が、真摯に仕事と向き合う物語だ。ピアノの音色や調律を言葉で紡ぎ出すのはとても大変な作業だったに違いないのだが、宮下さんは実に見事な筆致で表現している。
音楽的な部分での奥深さはもちろんだが、人物の描き方も繊細だと感じた。主人公の青年・外村は一見、イマドキの言い方をすれば草食系男子。けれど、仕事へ探究心には感服させられるほどで、心に、静かに情熱を沸き立たせるマグマを秘めているような青年だった。調律を学ぶためなら遠慮無く先輩に質問し、仕事にも同行する。謙虚な姿勢ながら、学ぼうとする意欲は隠しきれない。なんとも理想的な職場の後輩である。先輩たちだって、こんな後輩なら大事に育てたいと思うだろう。
そうして、環境に、人に、森に育てられながら、外村は理想のピアノの音に近づいていく。
この空気感をどうやって映像にするのだろう…。去る2017年、作品の映画化を知ったとき、最初に不安がよぎったのを覚えている。そうして半ば恐る恐る映画を観たのだったが、良い意味で裏切られた。作品に流れる雰囲気が、しっかり再現されていた。外村役の人気俳優もイメージにぴったりだった。小説を読んで、映画を鑑賞し、再び小説を読み返し…… もう一度、あの静かな感動を味わいたくて、今回は3度目の読了である。そして思う。映画、また観たいな…と。ということは、私はきっと、しばらくの間は「羊と鋼の森」のループに陥るに違いない。
私が読書を勧める理由(終) 文章を最後まで読み切る力をつけるため
国語というのは文章を読んで答える科目である。だから、「文章を最後まで読み切る力」が必要だ。文章を最後まで読み切ることができなければ、設問を解くというスタートラインにすら立つことができない。
最近の中学入試や高校、大学入試に出題される文章は、長い。とにかく長い。一般的な単行本なら、3~5ページ分を載せる試験問題もめずらしくない。長い文章は苦手…だけならまだしも、読書習慣のない児童生徒なら、いくら読もうとしてもまったく頭に入ってこないだろう。
国語に向き合う前に、文章を最後まで読み切る力をつけなければならない。そのためには、まず、読書をしなければ。試験での問題文を短いと思えるほどの読書を。
あたりまえのことだが、たいていの文章問題の最初にはこう書かれてある。
「次の文章を読んで、あとの問いに答えなさい。」
さて、あなたは、あなたのお子さんは、ちゃんと最後まで文章を読んでいるだろうか?
国語が苦手な子の大半は、文章を最後まで読まずに設問に答えている。傍線部分の付近だけを探して答えっぽいものを選んだり、そこで見つからなければ「なんとなく」で。これでは、いくら問題の数をこなしても、力がつかないのは明白である。
国語を解くには、正解を導くためのプロセスがはっきりと存在する。
よく、読書をする子は勉強しなくても国語の点数が良い、といわれる。これは、長い文章を最後まで読み切る力を身につけた上で、授業で学んでいるからだろう。言い換えれば、設問を解くというスタートラインにしっかりと立った上で、プロセスを身につけているからだ。
国語を本気でなんとかしたいなら、まずは読書を通して、「文章を最後まで読み切る力」をつけることである。
塾生の保護者様からの声(6)
〈新・中2男子の保護者様から〉
毎回、塾から帰った時に「楽しかった。時間があっという間だった」と言っています。私としては、それが一番嬉しく思っています。
*特に漢字が苦手なお子さんなので、漢字の学習を毎回取り入れています。読解力も徐々に身につき、「ここにこう書いてあるからこうで…」とつぶやきながら、とても真剣に取り組んでいます。
塾生の保護者様からの声(5)
〈新・中2女子の保護者様から〉
毎週いろんな勉強をしてくれているので、飽きずに通えている様子です。娘の話を聞くと、国語の勉強の幅の広さに改めて驚かされます。
最初の頃、読解問題や文法のときに、なぜそれを答えにしたのかを説明するように言われるのが大変なんだと言っていました。けれど、それが良かったようで、今では、自分で勉強するときに、どうしてこうなるのかなどと考えるようになったそうです。塾に通う前まで、国語をどうやって勉強したらいいか悩んでいたのが嘘のようです。また、自分で勉強するときには、必ず声に出しながらした方がいいとアドバイスをされたので、いつもブツブツ言いながら勉強している娘です。
*中学生には、なんとなくではなく、しっかり根拠をもって答えを出すことを意識させながら指導しています。とても素直なお子さんなので、教えたことをどんどん吸収してくれて教え甲斐があります。「いつもブツブツ言いながら勉強」している様子が、目に浮かびます。問題を解くときには、常に自問自答すること。これが国語を上達させるコツでもあります。