言の葉通信

2022-01-30 18:42:00

私が読書を勧める理由(1) 幅広い言葉に触れるため

 私自身、本が大好きな子どもだった。それは大人になった今も変わらない。ただ、何歳から本が大好きだったかはわからない。物心ついたときにはすでにたくさんの本を持っていた。

 私は本好きになるべく環境にあったのだと思う。近所に住んでいた祖父が大変な読書家だったのだ。だから、孫の私に本を買い与え続けた。私の手を引いて、バスに乗って、本屋に連れて行ってもくれた。小学校に上がった頃には「エジソン」や「キュリー夫人」といった伝記、中学年になると「二十四の瞳」といった小説に。祖父なりの考えがあったのか、買い与える本のジャンルが、学年が上がるにつれて変化していったのを覚えている。

 また、お正月に祖父母の家に親せきが顔を揃えると、決まって「百人一首大会」となった。私たち孫同士で、親たちとの対抗で… 祖父が詠む和歌を聞きながら。北海道独特の木札に書かれた難しい仮名遣いの札を、聞き慣れない和歌を、こうして小学生の頃から自然と心に刻んでいったのだ。

 

 読書を勧める理由の1つ目、それは、幅広い言葉に触れるためである。

   

 読書を通して、自然と幅広い言葉に触れることができる。たとえば「二十四の瞳」は近代文学なので、言葉の言い回しが現在のものとは異なっている。「百人一首」は当然歴史的仮名遣いが用いられている。

 現在の言葉遣いが完成されるまで、長い長い時間を経て言葉は変わってきた。その変遷を、ただ「古い」という言葉で片付けるのではなく、味わってほしいと思う。そして、言葉を駆使した多くの表現に触れてほしいと思う。

 たとえば、ライトノベルなら「いきなりガラッとドアが開いた。」と書かれるところを、森絵都さんの小説では「静寂をゆさぶる音がした。」と同様の状況を表現している。

 言葉を駆使すれば、あらゆる様子を、あらゆる感情を、あらゆる物を豊かに表現できる。

 そうして表現された、さまざまな時代のさまざまな人が言葉に託して、現在にも残っているたくさんの文章に触れてほしいと思う。

 試験問題は、日常で使う話し言葉では書かれない。必ずと言っていいほど、古典や近代作品が取り上げられる。それらを「初見で読み取る」には、普段から文語的な言葉で書かれた文章に読み慣れておくことも必要である。