言の葉通信

2021-08-31 16:14:00

猫を抱いて象と泳ぐ

 チェスをしたことがないけれど、自分もチェスの静かな海に身を投じてみたい… そう思ってしまう一冊。

 外国作品の翻訳かなと思ってしまう雰囲気の文体だけど、間違いなく小川洋子さんのオリジナル。そしてその文体のおかげで、ちょっと一歩引いたところから主人公リトル・アリョーヒンのひかえめな生き方を静かに読者は見つめることができる。

 アリョーヒンの人生は、本人が思っているよりもドラマチック。普通の人には決して経験できないことに次々遭遇しているのに、当の本人はヒョロ~ンと自分なりに納得してすり抜けていくような感じがある。

 アリョーヒンの人生で出会った人々も素敵だ。みんな魅力的で、アリョーヒンを理解して静かに見守ってくれる人々だった。その人々の中で、きっと多くの読者は、肩に鳩を載せた「ミイラ」を気に入るかもしれないが、私個人は「総婦長」が一番のお気に入りだ。太った体の総婦長がそれ以上大きくならないように、アリョーヒンは気遣って、総婦長の夜食をいつも少し処分する。アリョーヒンにとって大きな体は、命を削ることで、悲劇で、恐怖の対象だったから。そして総婦長もまた、アリョーヒンを理解し、アリョーヒンが写った写真を大事に引き出しにしまっておく人だったから。さらには、アリョーヒンの最期を大事に包み込んだ人だったから。

 自分が心から求める場所で、心から安心できる場所で過ごし続けたアリョーヒン。人には皆、その人が心から求める場所があるはずだ。けれど一生涯のうちに、自分が心から求める場所を見つけられる人はいったいどれくらいいるのだろう。

 

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