言の葉通信
脳の筋肉をきたえる=考えること
デジタル技術の発達はめざましいものがある。確かに便利にはなったけれど、やはり使い方次第では副反応はある。
知りたいことを調べることが、格段に楽になった。スマホに話しかければすぐに答えが返ってくるから、そもそも「調べる」ということをしなくなった。ちょっと前なら、いろんな本を見比べて、いろんな情報を整理しながらやっと得ていたことが、今では数秒の手間で済む。しかし、その副反応は、明らかに「脳」に現れていると感じる。
脳を使うための筋肉が固まった。
筋肉は使わなければ固まる。それなら、脳の筋肉も、考えることをやめたら固まるだろう。考えることで鍛え、鍛えることでさらに新しいことを学べる柔軟な脳になるはずなのに。なのに、考えることさえできなくなってしまったら。それは、「人間」と言えるのだろうか。
「言の葉の森」の塾生たちのほとんどが、入塾したての頃、まさに脳が固まっている子が多かった。「しっかり考えてみて」と促すと、そこですべてが固まるのだ。「えっ、考えるって何?」と全身で訴えるかのように。そもそも、「考える」ことがわからない。
国語は、考える教科だ。文章の言葉から読み解き、答えを導くためには、考えなければならない。文章に書かれていることから思考をつなげたり、整理したりの連続だ。問題が10問あったなら、考え方も10通りだと思っていい。
学校にパソコンが普及した頃から、調べ物はネットで、図書館を使うことが激減した。一人一台のタブレットを使い始めてから、手を使って書くことも減った。そして次は、教科書もデジタル化するという。これはもう、人間の脳を、無能化しようとしているのかと思うほどだ。
近年、学力低下だと嘆いているが、その原因も明らかなはずだ。デジタル技術は、子供の学びの場に導入するべきではなかったのだ。やはり成長期にある子供には、手足と脳をしっかりと動かす教育をするべきだった。古い教育は、決して古くはなかったのだと思う。なぜなら、その古い教育こそが、日本人の学力を押し上げてきたのだから。
「言の葉の森」での学習は、脳をしっかりと鍛えるものでありたい。世間がどんなにデジタルによって便利になったとしても、しっかりと「考える」ことをやめたくない。いつまでも紙で、ペンで、しっかりと手を使う学習を続けるつもりだ。
これは、開塾6年目に突入した、「言の葉の森」の決意である。